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世界の紀行文

言語楽通信 2

hawaii-dena6私は、中学・高校時代に英語、ラテン語、ギリシャ語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語などを勉強しました。が、当時は、アジア語やポリネシア語には全く興味がありませんでした。毎年よくヨーロッパ大陸に行きました。フェリーで300円ぐらいで、その後はヒッチ・ハイキングで回りました。

当時、英国には日本研究の講座を持った大学は3つしかなかった。ロンドン大学の助教授が私の高校に来て日本学の説明をしましたが、すぐには興味が持てませんでした。ケンブリッジ大学を受験したときに、面接とアンケートがありました。面接の時、教授とカフカの本について議論があり、私は反論しました。そのためにだめだと思ったが、大丈夫でした。その教授から「アンケートには、比較言語学に興味あると書いていたね。午後2時に日本学の学長に会うのだけれど、君も行くか」と誘われました。

すぐ帰るつもりだった私は、断ろうと思ったのですが、断ると大学に入れてくれないと恐れて(笑い)、ついて行きました。学長は温和な紳士でした。簡単な漢字の試験をされた。びっくり!合格。ロンドンに向かう列車で、もう一人の受験する学生と雑談。彼は合格しなかった。二度と彼の顔を見ない。

ヨーロッパ語から日本学に切り替えてから、ほかの学生に会った。小さいグループでした。 日本の大学の戦前の体制ですから、一般学はない。孟子、孔子学を含めてすべては日本の教育方針と直結でした。2年目から生徒はわずか3名!ヨーロッパ語の専門家は、私一人でした。したがって、試験がなかったのに、毎月LLで日本語だけでなく、ヨーロッパ語も勉強しました。

卒業後日本学者としては英国の会社で職を見つけるのは難しかった。うまい具合にソニーに入社が決まり、このときからすべての言葉を使うようになりました。ロンドンからすぐ東京に派遣され、プロの通訳の仕事が始まりました。ケンブリッジ大学に外務省から派遣されていた山田さんという方と友達になりました。日本に来たとき、山田さんの紹介で、赤坂にある ISS社に同時通訳を教えました。そのころソニーに、同時通訳者として有名な西山千氏が入社してきました。西山先生にはいつもよく教えていただきました。私の本業はソニーの外国部の翻訳と通訳。日本語をヨーロッパの諸外国語に翻訳または通訳するのが仕事でした。

アメリカ人、カナダ人とヨーロッパ人がよく来ました。忙しかったです。2年経った頃、ニューヨークに転勤になりましたが、アメリカの東海岸が嫌いでしたので、西海岸の仕事を探しました。ソニーのサンデイエゴ工場で働きました。11年の滞在でした。 そのあとフリーの同時通訳者になりに、ハワイに移りました。

最近よく旅行しますが、長年ほとんど飛行機に乗っていなかったです、なぜなら世界のあちこちから皆さんが、とても喜んでサンデイエゴまたはホノルルに来てくれるからです。 魅力的な場所に住みながら、たくさんの外国からの友と彼らの言語で語り、言語楽の練習をしています。
1冊丸ごとハワイ島 ベスト版 (エイムック)

アフリカポレポレ通信21 ウガンダ④~終

そんなふうに、いたるところで豊かさを感じさせ、アフリカっぽくないウガンダだが、ジョゼフの家には、首都からわずか20分程度であるにも関わらず、電気も水道も来ていない。これは、周辺のどの家もそうで、インフラが整備されていないのではなく、家そのものに、それらの設備がないのである。

日が暮れると、当たり一帯の家々でランプが灯され、ろうそくの明かりが、窓辺や軒先をほのかに照らす中で、家族や友人同士が団欒を持つ様子は、雰囲気もよく、ジョゼフも「これがウガンダだ」などと言って、陽気に笑っているが、豊かなのは、ほんの1面に過ぎないのだと感じた。

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 ところで、ジョゼフにダウンタウンを案内してもらっているとき、少し戸惑うことがあった。ダウンタウンは危険だとしきりに言うジョゼフが、僕の手を取り、そのまま歩くのである。その後も、ジョセフは何かというと、僕の手を握って歩くのだが、ウガンダでは、男同士で手を繋いで歩いている姿を、とにかくよく見かける。

ケニアでも、田舎ではよくある光景なのだが、ナイロビではあまり見かけないので、とにかく最初はびっくりしたし、恥ずかしかったのだが、ジョゼフと2日ほど行動をともにし、事あるごとに手を握られるので、そのうちに慣れてしまった。

(終)


アフリカポレポレ通信20 ウガンダ③

ナイロビから、カンパラまでの直行便で来たので、ウガンダ・シリングの持ち合わせがなかったので、ジョゼフの家に荷物を置いたら、早速、カンパラへ。カンパラの第一印象は、"静かできれい"。

もちろん、カンパラにも、物乞いやストリート・チルドレンはいるし、スラムもあるのだが、はじめに案内してもらった、大使館や高級ホテルのある高級住宅地は、どこも、人ごみにあふれ、そこかしこでクラクションが鳴り響き、埃っぽくて、ゴミだらけだったナイロビに比べると、行き交う人も、走る車もずっと少なく、建ち並ぶビルは、真新しく、デザインも洗練されている。道行く人も、古着然としたボロを着ているような人も少なく、センスもいい。何より、衛生観念の低いアフリカの国には珍しく、投げ捨てられたゴミも非常に少ない。

 高級住宅地をしばらく歩いたあとは、庶民の生活の場であるダウンタウンを案内してもらう。高級住宅地の静けさとは打って変わって、ダウンタウンは、アフリカ的下町の猥雑な雰囲気と活気に溢れ、特に、タクシーパーク付近では、200台はあるだろうタクシーがひしめき合い、その周囲を、商店や露店が取り囲んでおり、壮観ですらある。

しかし、小ぎれいなショッピングモールも多く、ここでも改めて、ウガンダの豊かさを感じる。それでも、カンパラは、街自体も小さく、高級住宅地の方が、極端に洗練され、人の数も減るので、その区分けは、ナイロビ以上にはっきりしている。





アフリカポレポレ通信19 ウガンダ②

当初、カンパラに着いたら、ダウンタウンにある安宿に泊まろうと思っていたのだが、バスで隣り合わせたジョゼフが、ダウンタウンは危険だからと、自分の家に泊まるように申し出てきた。ジョゼフは、お母さんとおじさんの3人暮らし。カンパラの中心部から、タクシー(ケニアで言うマタツ)で、20分ほどかかる郊外の町に住んでいる。正直、バスに隣り合わせただけの男など信用してもいいものかという不安はあったが、家族構成を考えても、大それたことはできなさそうだし、取られて困るようなものも持ち合わせてはいない。ウガンダでは、まず始めに、ジンジャに行って、ナイルの源流を見るつもりだったので、カンパラの中心部にいる必要もない。何より、ウガンダ人の家庭というものを垣間見ることのできるいい機会でもある。思い切って、2~3日、泊めてもらうことにした。

 ジョゼフの家は、コンクリートつくりで、屋根はトタンでできている。こう言うと粗末な家のようだが、造り自体はしっかりとしており、構造も広く、なかなか快適に作られている。ウガンダに入国してすぐに感じたことだが、素材は別として、ウガンダにはきれいな家が多く、道行く人も、みんな、きちんとした服を着ていて、生活レベルは、それなりに安定しているように感じた。実際、ジョゼフは、MP3で、音楽をよく聴いているのだが、ケニアでは、CDフレーヤーはおろか、ヘッドフォン・ステレオさえ、庶民はなかなか持てないことを考えれば、やはり国民の生活は、アフリカ国内では、比較的、高い方なのだろう。


アフリカポレポレ通信18 ウガンダ①

床屋に話を戻すと、子どもたちは、20シリングということだが、いわゆる"丸刈り"にされる。ある日、サボレが床屋に行くというので、ついて行ったら、先に、どこかの子どもが丸刈りにされている。どこの男の子だろうと思っていたら、ンズーラとワンボイ。

こちらでは、女の子も、小学生のうちは丸刈り。しかし、ンズーラは、そろそろお年頃で、丸刈りは恥ずかしいらしく、施設に帰ると、色鮮やかなスカーフを、頭に巻く。頭をぐるりと包み込み、額の上あたりで、キュッと結ぶアフリカン・スタイルはなかなかおしゃれ。日本ではこうやるんだよと、いわゆる三角巾のかぶり方を教えると、結構、気に入った様子。ついでに、鼻の下で結ぶコソ泥スタイルも教えたら、こちらもなかなか受けた。

しきりに自分の丸刈りを恥ずかしがるンズーラに、大人になったら、どんな髪型にしてみたいかと訊いてみるが、「私はこのままでいいわ」という答え。しかし、ケニアの女性の髪形は、とても凝っている。ジポーラは編み込んだ髪を、その日のスタイルに合わせて、様々な形に整え、ムワリムはストレート・パーマをかけた上に、さらにゆるいウェーブをかけ、金色に染めている。ママにいたっては、1000シリングもかけて、髪を編み込んだように見えるエクステンションを何本もつけている。女性は、髪にかけては、お金も努力も惜しまないようである。

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それに対して、男性は、大人も子どもも、みんな丸刈り。ごく稀にドレッドなど見かけるくらいである。で、僕も、それに倣って…というわけではないが、床屋に行って、丸刈りにしてもらう。しかし、床屋さん、ムズングの髪の刈り方が、わからないらしい。

こちらの人の髪は、いわゆる"縮れ毛"なので、どの方向からでも、よく刈れるが、日本人の髪だと、上から下に伸びているので、下からでないと刈れないのに、上から刈ろうとする。いつまで経っても、バリカンで髪を撫でつけているだけなので、下から刈るようにと指示。その後も、横はこう、後ろはこうと、教えながら、ようやく終わった次第で、結局、200シリング取られてしまったが、こちらが講習代をいただきたいくらいである。




アフリカポレポレ通信17 ケニア

床屋に話を戻すと、子どもたちは、20シリングということだが、いわゆる"丸刈り"にされる。ある日、サボレが床屋に行くというので、ついて行ったら、先に、どこかの子どもが丸刈りにされている。どこの男の子だろうと思っていたら、ンズーラとワンボイ。

こちらでは、女の子も、小学生のうちは丸刈り。しかし、ンズーラは、そろそろお年頃で、丸刈りは恥ずかしいらしく、施設に帰ると、色鮮やかなスカーフを、頭に巻く。頭をぐるりと包み込み、額の上あたりで、キュッと結ぶアフリカン・スタイルはなかなかおしゃれ。日本ではこうやるんだよと、いわゆる三角巾のかぶり方を教えると、結構、気に入った様子。ついでに、鼻の下で結ぶコソ泥スタイルも教えたら、こちらもなかなか受けた。

しきりに自分の丸刈りを恥ずかしがるンズーラに、大人になったら、どんな髪型にしてみたいかと訊いてみるが、「私はこのままでいいわ」という答え。しかし、ケニアの女性の髪形は、とても凝っている。ジポーラは編み込んだ髪を、その日のスタイルに合わせて、様々な形に整え、ムワリムはストレート・パーマをかけた上に、さらにゆるいウェーブをかけ、金色に染めている。ママにいたっては、1000シリングもかけて、髪を編み込んだように見えるエクステンションを何本もつけている。女性は、髪にかけては、お金も努力も惜しまないようである。

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それに対して、男性は、大人も子どもも、みんな丸刈り。ごく稀にドレッドなど見かけるくらいである。で、僕も、それに倣って…というわけではないが、床屋に行って、丸刈りにしてもらう。しかし、床屋さん、ムズングの髪の刈り方が、わからないらしい。

こちらの人の髪は、いわゆる"縮れ毛"なので、どの方向からでも、よく刈れるが、日本人の髪だと、上から下に伸びているので、下からでないと刈れないのに、上から刈ろうとする。いつまで経っても、バリカンで髪を撫でつけているだけなので、下から刈るようにと指示。その後も、横はこう、後ろはこうと、教えながら、ようやく終わった次第で、結局、200シリング取られてしまったが、こちらが講習代をいただきたいくらいである。




アフリカポレポレ通信16 ケニア

ケニアに来る直前。散髪屋にぼったくられたり、いちいち交渉するのもイヤだと思い、3ヶ月間、床屋に行かなくてもいいようにと、生まれて初めて坊主頭にした。しかし、こちらに来て1ヶ月。無造作に伸びてきた髪は、どうもみっともないので、やはり散髪屋に行くことに。そこで、代金をサボレに尋ねてみると、「本当に行くの!?」と、目を丸くする。何かまずいのだろうか?と思いつつ、それでも、散髪したいと答えると、すごく高いという。「僕たちは20シリングと安いけど、外国人だと、200シリングも取られるよ!」という。

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当然、どんなことをするかにもよりけりではあるが、日常生活において、ケニア人の金銭感覚は、大雑把にいうと、20シリングだと安く、200シリングだとすごく高いという感じである。僕自身、こちらで生活をしているあいだ、100シリングを超えるような品物を購入したといえば、水とトイレットペーパーくらい。しかし、それも、水は5リットルのもの、トイレットペーパーは8ロールまとめてである。外食をしても、地元の人が来るような食堂でなら、おいしいテラピア(魚)やニャマ・チョマ(肉)が、ウガリおかわり自由で、50シリング程度で食べられるし、ファーストフードも、皿山盛りのチップスとソーセージが同じくらいの値段である。

ケニアは、思っていた以上に、料金表示がしっかりしているので、物価の相場を知りやすい。僕はスモーカーなので、タバコなどは、キオスクや地元の人の利用する商店を利用することが多いが、キテンゲラでも、ナイロビでも、今のところ、ぼったくられたことはない。また、マタツは、時間帯や、往路と復路で料金が変ることはあるが、終着点までの料金表示がされていることもあり、とても乗りやすい。1度だけ、マタツで、20~30シリングの距離を、50シリングと言われたことはあるが、まぁ、その程度なら、かわいいものである。

しかし、ケニアでも、やはり"ムズング・プライス"なる料金設定があるのは確か。Tシャツや靴下など、日用品を扱うマーケットでは、せいぜい50シリング程度の上乗せだが、みやげ物屋となると、最初の言い値は2倍~3倍。中には数倍くらい言ってくるのもいる。もちろん、タクシーも、こちらは、言い値の10分の1くらいから始めて、ようやく相場。もともと、タバコやチョコレート、タクシーなど、嗜好品や地元の人では購入・利用しないようなものは、日本との物価を考えると、やはり割高であることを思えば、当然と言えば、当然のことである。






アフリカポレポレ通信15 ケニア

このように、力強く明るい音楽に溢れたケニアだが、近隣の小学生たちが30人ほど集まる土曜日の補習授業では、休み時間になると、サッカーや自転車に乗って遊ぶ子どもたちの騒ぎ声に混じって、ゴマ(太鼓)やピアニカ、リコーダーの音色が聞こえてくる。照りつける陽射しから逃れるように木陰に座り、思い思いの曲を奏でるその姿は、とても穏やかで、懐かしい楽器の奏でる音色は、郷愁を呼び起こし、もの悲しくもある。

それは同時に、彼らは、ここにいることを強く意識させ、ここに来るには、それなりの理由があるのだということを、改めて思い起こさせる。ここに来る前は、安い感傷に囚われて、大切なことを見落とさないように気をつけようと思っていたのだが、普段、明るく元気な彼らといると、そんなことはまったく意識させられない。しかし、それだけに、ふいに沸き立つ感情は、抑え切れず、その音色は、一層もの悲しく聴こえてくる。

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いつでも、どこでも音楽が溢れているケニア。ある日、みんなで食事をしていたのだが、なんだかいつもと違うと思っていると、所用で、少し遅れてきたママが、あり得ないといった表情でこういった。「なんで、音楽もかけないで、食事しているの!」花に水、人には愛が必要なように、ケニア人とって、音楽は、人生に欠かせないもののようである。


アフリカポレポレ通信14 ケニア

しかし、ママに言わせると、ケニア人の誰もが、音楽好き、踊り上手というわけではないという。クリスチャンの多いケニアでは、敬虔な信者は、ヒット・チャートを賑わすような歌や音楽は好まないらしい。だが、教会で歌われる賛美歌も、(宗派によりけりではあろうが)僕たちがX' masなどによく聴くような厳かなものではなく、アフリカの民俗音楽の要素を取り入れたものであり、色とりどりの腰布を巻き、パーカッションや (マラカスのような音を出す)の音色に合わせて、歌い踊る聖歌隊の姿は、躍動感に溢れている。そして、それに合わせて、各々のリズムで、歌い踊る人々の様子からは、僕よりも恵まれないはずの彼らの方が、ずっとたくさんの生きる歓びを感じ取っているように見える。

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このようなリズム感は、いつごろから身につけられるのだろうか。施設が運営する保育園では、朝礼の時間だけでも、数曲の歌を振り付けで歌い、授業にも、たくさんの歌と踊りが盛り込まれている。ムワリムの号令がかかると、子どもたちは、待っていましたと言わんばかりに、椅子の前から飛び出し、せまい教室いっぱいに広がって、その小さな体から、歌い踊る歓びというものを、思う存分に発散する。それらの歌の多くは、子供向けの単純なもので、歌に関しては、「大きな声で!」というムワリムの指導通り、がなり立てているだけに近いのだが、踊りとなると、中には、童謡らしからぬ振り付けのものもあり、そんな歌では、どの子どもも、巧みな腰使いで踊り、すでに大人顔負けのリズム感を体得していることに、また驚く。

また、ケニアの小学校では、授業はすべて英語で行われるが、ケニア人が日常生活で使用する言語は、主にスワヒリ語であるため、恵まれない環境にいる子どもの中には、英語がマスターできないまま、どの授業にもついていけず、なかなか進級できない子どもも数多くいる。ワンボイも、そんなひとりで、彼女は、ほとんど英語を理解できず、話すこともない。しかし、そんな彼女も、ンズーラやウォーリーと一緒に、童謡遊びをするときには、どんなにスピーディな英語の歌でもしっかり歌い、はしゃぎ転げる。


アフリカポレポレ通信13 ケニア

ケニアでの僕の朝は、ニワトリの鳴く声と、隣のムワリムの部屋のラジオから流れてくる大音量の音楽ではじまる。

ケニアでは、町を歩いていれば、建ち並ぶ店先のラジカセから、マタツに乗れば、すぐ横に取り付けられたスピーカーから、これでもかと言わんばかりの音量で、絶え間なく音楽が流されている。週末の夜ともなれば、徒歩10分ほども離れた町のバーで流す音楽が、まるで隣の家でかけているような大きさで聴こえてくる。

この施設でも、食堂では、ママやサボレが、いつもラジオやTVから流れてくる最新音楽を聴き、それを聴きつけたンズーラやワンボイが、どこからともなく現れては、歌い踊りはじめる。子どもたちは、どんな歌にでも合わせて、元気いっぱいに歌い踊る。

一見、デタラメに動かしているようにしか見えない手足は、伸び縮みしているかのようにしなやかに揺れ、触れれば簡単に壊れてしまいそうな華奢な肩や腰は、力強いビートを巧みに刻む。

今、ケニアのミュージック・シーンを賑わせているのは、いわゆるブラック系であり、TVやラジオから流れてくるのを聴いている限りは、特に、アップテンポでパワフルなHIPHOPが人気のようであり、T○Cのパクリみたいなガールズ・ユニットも目立つ。

これらの曲は、スワヒリ語に英語がミックスされ、ミュージック・クリップも欧米諸国の映像感覚に引けをとらないくらいスタイリッシュに作られている。また、社会問題をテーマにした歌もよくヒットするらしく、そんな歌に限って、ヴォーカルは、より力強く、メロディは、一層陽気で軽やか。そんなところも、また、ケニアらしいなと感じる。
「ケニア、タンザニア 東アフリカの音楽2〜祈祷と儀礼」「ケニア、タンザニア 東アフリカの音楽2〜祈祷と儀礼」

アフリカポレポレ通信12 ケニア

ケニアの公用語は英語であり、学校の授業は、英語で行われるとはいえ、就学率の低いケニアでは、思っていた以上に英語を話せない人も多い。特に、キテンゲラあたりまで来ると、今も、昔ながらの生活を送るマサイ族も多く、彼らの中でも、特に中高年になると、スワヒリ語さえ語せない人もいる。

しかし、そんな人でも、人懐こい笑顔を見せては、気軽に声をかけてくる。また、開発・発展の目覚しいキテンゲラでは、修工中の建物が多く、トラックの荷台に乗っている青年たちが、すれ違いざま、理解できない言葉で、囃したててくることもある。

はじめは、からかわれでもしているのかと思っていたが、ある日、一緒に歩いていたウォーリーに、なんて言っているのかと尋ねると、「あなたと話をしたがっている」という。それ以来、あいさつを返すようにすると、荷台の上では、一斉に歓声が上がり、なんとなく、こちらまで楽しくなってくる。

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まぁ、みんなが、僕とあいさつをしたいというのは、僕(ムズング)が珍しいからだろうし、そういう意味では、からかわれているのと大差ない気はしないでもないが、外国人が海外で声をかけられる場合は、大抵、客引きやたかりの類である。しかし、キテンゲラでは、そんな人はほとんどない。

あいさつを交わすということが、こんなに気持ちのいいことで、大切なことだということを、ここに来て、初めて知ることができた。


フランスの田舎から 9(終)~シャルバーグ八千代

15.12.2004

●フランスのノエルとお正月
12月25日の「クリスマス」は、フランス語だと「ノエル」になります。以前ほど教会ミサに行く人は多くありませんが、家族が集まって温かい食卓を囲む習慣は変わりません。つまり日本の新年のような雰囲気がフランスのノエルだと思えば良いでしょう。本来は宗教的な意味が濃かったわけですが、現在はより家族的な日になっているように思います。

反対に日本だと厳かに気持ちを新たにして迎える新年ですが、ここでは友達と陽気に騒ぐパーティー気分の年越しになります。休日の1月1日(日本だと3日まで休みですが、フランスは翌2日から普通の日になります)は夜中まで騒いだ疲れでどこの家も寝坊を決めこむので、日本のように家族総出で元旦の朝にかしこまってお屠蘇を飲み、お節を囲む習慣はありません。

ところで日本人が12月をせわしく感じるのは、年内にいろいろなことをきちんと片付けておきたいという気持ちがあるからでしょう。新しい年はすべて新たにして迎えたいからです。たとえば大掃除。過ぎ行く1年の埃を払い、新しい年を清らかに新たに迎えたいからするわけでしょう。

でも、フランスで暮らしていると、新年イコール「新たになる」心情はどうも日本独特ではないかと思うようになりました。ここで大掃除といえば、陽気が良くなる春の復活祭の前あたりにします。わざわざ凍てつく寒い時にガラス窓を磨いたりなど不合理なわけで、ここでは到底考えられません。

つまり過ぎて行く年に対して次に始まる1年を「新た」とは考えません。本の新しいページをめくるような感覚は持っていないということです。時は綿々と続き、個人的に時の区切りをつけるとすればその人の事情と感慨によるとか、歴史的な事件(戦争とか)がきっかけになるようです。日本人のように誰もが「新年」に気持ちを改める、改めたいといった願望はありません。ゆえに年末年始は単に暦が変わるといった事実でしかないわけです。

フランスの我が家で5回目のお正月を迎えますが、私としては日本的な新年を迎える「改まった気持ち」はなかなか良いものだと思っています。たとえば2004年があまり思った通りの年でなかったとしても、新しい2005年は絶対に古い2004年とは違う。だからきっと何かが違ってしかるべきだと考えられる…これはけっこうポジティブで前向きな考え方だと思うわけです。

我が家の年越しはシャンパンを開け、主人とゆっくり過ごすのが恒例です。
皆さんも、良いお年を!


フランスの田舎から(1)~(9)全記事はこちらです。⇒フランス紀行

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