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ラオス紀行

ラオス紀行~小川裕子

ラオス紀行~小川裕子
1  ラオス~口の中の可愛いベイビー
2  ラオスの敬虔な正月
3  ラオス~アジア最後の楽園

ラオス~アジア最後の楽園

laos-mizukake-120x80酷暑の大晦日。 ラオスの町は、普段と変わらずのんびりしていた。 日本のような、白い息を吐きながらの師走の慌しさなど、微塵も感じられない。 唯一違う点といえば、隣近所・親戚が集まっての酒宴が、ちらほら見えるくらいだろうか。 といっても、何 かにつけて飲むのが慣わしのラオス人。 年末年始だけの特別な風景ではない。 明日か らは、一風変わった正月行事に町中が沸き立つ。 しかし今日は、夏祭りの日の夕暮れのような、そわそわとした楽しげな空気が漂っているだけだ。

そんな雰囲気に、すっかり浮かれてしまったらしい。 気がつけば、ガイドブックにも載らないような小道にいた。 両側には、装飾のまったくない、コンクリート剥き出しの家屋が密集している。 静けさに混じって耳に届くのは、子どもの泣き声に、ささやくような話し声。 途切れがちに、ラジオのミュージック番組も聞こえる。 熟れた風にまじるのは、魚醤の匂いだろうか。 生活の断片がそこかしこに漂っている。

嫌な、予感がした。

観光客がまったく見当たらない恐怖感から、足早に通り過ぎようとしたその時だった。 大声で笑いたてる、男性の一団と出くわした。 10歳くらいの男の子に、その親類らしい30代、40代が5-6人。 家の前のガレージスペースで酒をあおっている。 私に気づくと、顔を見合わせ怪しく笑った。

思わず立ち止まる。 途端に、少年と40代後半の男性がにじり寄った。 一瞬の沈黙。
けれど、すぐに私の金切り声が響いた。

「ヤメテ ヤメテ ヤメテ!」

彼らの手にあるものを見て、この後の展開は容易に想像できた。 勘弁して、そう訴えたが、皆愉快そうに笑うばかりだ。 後ろの仲間たちも、面白そうに成り行きを見守っている。

彼らの手にあるもの-それは、水を一杯にたたえたバケツ。 そう、1日早く新年を祝っていたというわけだ。

「カメラ持っているから、水はかけないで!」

大げさなジェスチャーでカメラを指差し、日本語で懇願する。 なりふりかまわない、必死の形相が功を奏したのか。

「じゃあ水がかからないように、そのカメラを体から離して!」

聡い少年は、私の訴えを察し、身振り手振りで応じた。

・・・火事場のコミュニケーションは言語の壁を越えるのだ、と妙に感心する。

そして、しぶしぶとその指示に従うやいなや。

「バシャーンッ」バケツ2杯分の水を、全身にいただく。汗を洗い流された爽快感から、怒る気にもなれず笑い出してしまう。 続いて、拍手喝さいを伴う大笑いが、小さな路地に響いた。



 リゾートになれない国

ラオスは、あまり有名な国ではない。

それが一つの国家であること、アジアはインドシナ半島にあるということを、認識している人すら多くないだろう。 事実、「中東は危険だから気をつけてね」こんな餞別の言葉を贈ってくれた友人もいたほどだ。隣国のタイ、ベトナムがリゾートとして人気であるのに比べて、ラオスの影が薄い理由。 それは二つある。

一つは地形の問題だ。 内陸国であるために、ビーチリゾートとしての魅力がない。 さ> らに、日本の本州とほぼ同じ広さの国土は、70%以上が海抜200M以上の山岳地帯となる。 このため、国土開発はどうしても遅れがちになってしまう。

もう一つは、1989年まで国交を断絶していた点。 鎖国政策をとっていたため、隣国には中国やタイという大国があるにもかかわらず、その影響は少ない。 また、社会主義政策の一環で、海外旅行者をうけいれはじめたのもごく最近。 先進国への憧れが、これまでの生活習慣を劇的に変えてしまうこともなかった。 国民の多くは、今も電気も水道もガスもない生活をしている。 国の財政も豊かではないため、唯一の観光資源である世界遺産の修復もままならない。 高級ブランドショップや免税店など、あるはずもない。

要するにラオスは、観光で訪れるにはあまりに何もない国なのだ。 しかし一方で「アジア最後の楽園」と呼ばれるのも事実。 一体ラオスの何が、楽園といわしめるのだろうか。



 何もない楽園で、出会う風景

早朝、まだ薄暗い道に出れば、托鉢の光景に出くわす。 人々は、お供え物の食料を用意して僧侶の登場を待つ。 朝もやに、ひときわ鮮やかなオレンジ色の袈裟。列をなした僧侶たちが鉢を差し出し、信者はうやうやしく供え物を捧げる。 毎朝続く、無言の儀式だ。

あたりが明るくなり始めると、道端の店から食欲を誘う香りが漂う。 店頭で湯気が立つのは、米麺・フーの店。 好みの野菜に、脂身がカリカリになるまで揚げた、アヒルや豚の肉を入れる。 スープがあっさりしているので、朝から食べても胃にもたれない。 フランスパンを炭であぶっているのは、街で一番のサンドイッチ屋だ。 オリジナルのレバーパテに、地元の人たちが群がっている。 地鶏でだしをとったお粥の店も捨てがたい。

ここぞと決めて店に入れば、赤い口紅が妖艶な店員がオーダーを取りに来た。 朝からラッキー、と目の保養に眺めれば、胸が真っ平ら。 ラオス美人には違いないが、ニューハーフだった。 練乳と砂糖まみれの珈琲「カフェラオ」を飲みながら、家業であろう食堂で立ち働く姿に、しばし見惚れた。

日中、町を歩けば視線の花道ができる。 昨今は個人旅行者が増えつつあるが、団体客はまだない。そんなラオスで、日本人はとかく珍しいようだ。子どもはわざわざ正面に回りこんで、まとわりついて歩く。農作業で鍛えた体がたくましい老人は、眼鏡をずりあげて口を開けている。

自分が魅力的なわけではない、ただ単に珍しいだけなのよ。そう言い聞かせても、暑さにもかかわらず気取って歩く自分がいる。 「私のことなんて誰も見てくれないわ」ここラオスでは、そんな都会の孤独にさいなむ余地はない。 そして、人々の視線に振り返れば、けれんみのない笑顔がむかえてくれる。

日が傾き始めたら、メコンのほとりへ。 土手には、テーブルと丸いすを置いただけの、簡素なオープンカフェが立ち並んでいる。 ビール片手に夕涼み、というわけだ。 屋台で食料を買い込み、川原に座り込んでいる人々もいる。

私も川べりへと腰を下ろした。 眼前に広がる、滔々たるメコンの流れと、変わりゆく空のグラデーション。 突き上げるような積乱雲が、薄桃色から朱色になり、やがて黄金色へ。 太陽は輪郭を赤くにじませ、川面を反射したかのように揺れている。 まとわりつく羽虫の存在さえ、忘れてしまうような眺めだ。

とそこへ、一人の女性が駆け寄ってきた。 二十歳ぐらいだろうか、細い目をさらに細めて、彼女はゆで卵を差し出した。 私が一人でいることに、気を使ってくれたのだろうか。 しかしそれがカイルークであることを恐れて、遠慮しようとした。 すると、5メートルほど離れた場所に座っている一団が、「食べなさい」とそろってジェスチャーするではないか。

おそるおそる殻を割ると、普通のゆで卵だった。 安堵して食べ終えれば、今度は別の女性が登場。 見たこともないお菓子と、お手拭用のトイレットペーパーも置いていく。 一団に会釈を送ると、素朴な笑顔が返ってきた。 対岸のタイの大地に、日が沈んだ。 あたりは風に草がそよぎ、虫が低く鳴いている。

ラオスには、極上リゾートも豪華絢爛なエンターテイメントも、何もない。 しかしこれこそが、唯一で最大の魅力なのだ。 けわしい山々は、70以上の民族の伝統と文化を守り、ひなびた田園風景を残した。 そこに生きる人々は皆おおらかで、メコンの流れのようにゆったりと構えている。 旅行者の目から、自分たちの生活を隠そうとはしない。 貧しくとも、恥ずべきところのない、あけっぴろげな営み。 家々の扉は、つねに開かれている。

すべては、物質的な豊かさと引き換えに失ったものばかりだ。 誰もが懐かしいと思わずにいられない、原風景。 そして、それに気負いなく出会えることの、贅沢さ。 ラオスが「アジア最後の楽園」とよばれる理由は、きっとここにある。

ラオスの敬虔な正月

laos-road-120x80「サバイディ ピーマイ!」

陽気なかけ声とともにいっせいに水しぶきが舞う。灼熱の太陽を受けてきらめくプリズム。生ぬるい水は肌にふれると同時に気化し、その瞬間ほてる体に涼がたちのぼる。かける側もかけられる側も、新年を祝う喜びに満ちあふれている。水かけ正月とも称されるラオスの正月は、水とともにある。

■パーシーの儀式■

まだ朝靄がたちこめる早朝。先生と私が学校に到着したとき、牛の屠殺はすでに終わっていた。朝露をふくんだ土と緑のにおいに混じって、濃い血の匂いが鼻につく。祭礼の後、正月のご馳走としてみんなで食べる慣わしらしい。腕に血が残ったまま、解体作業を終えた先生たちはビールを飲みつつ、一足お先に生肉をつまんでいる。
すすめられたものの、おなかを壊すかもと忠告されてやめた。

人々が体育館に並んで座り始めた。男性はズボン、女性は腰巻スカートをまとい、肩からタスキ状のショールをかけている。いずれも絹製で、金や銀の糸があざやかな幾何学模様を描いている。ラオスの正装だ。これから学校関係者とその家族だけが参加する正月の祭礼が始まるのである。

参列者に向かい合って座っているのは9人の僧侶。座禅を組んだ彼らの前には飲料水と供物として用意されたご馳走が盛られている。さらにその前、僧侶と参列者の間を埋める形で置かれているのがバーシー膳だ。米を詰めた器に、色とりどりの花やバナナの葉をつなげた枝飾りが差され、クリスマスツリーのような華やかさだ。

そしてここに結ばれた白い木綿糸をバーシーと呼ぶ。ラオスの祝い事の席には欠かせないものなのである。

儀式が始まった。まずは白髪の校長が僧侶へ祈りの言葉をささげる。それに答える形で僧侶中央に位置する大僧侶が祝詞を唱え、連なる僧侶達が唱和する。人々は床に額をつけるほど深く頭を垂れている。ラオスでは、仏教はまだ人々の精神にきちんと息づいているのだ。神妙な気持ちで私も頭をさげた。

30分ほどたった頃だろうか、校長の朗誦する声が途切れた。はじめはその沈黙も儀式の一種かと思ったが、それにしては長すぎる。目立たぬよう、おそるおそるあたりを見回すと、人々の肩が小刻みに震えている。会場に広がる笑いの波。見れば僧侶も苦笑している。校長は、せりふを忘れたのだった。

和んだ空気に乗じてよくよく観察してみると、全校集会の児童よろしく人々はおしゃべりをしている。若い僧たちもご馳走にはやくありつきたくてたまらないのか、妙にそわそわしている。結局、どこの国でもこういった式典は退屈なものらしい。

祈りを終えると、先ほどの牛が焼肉となってふるまわれた。それにともないバーシーも始まった。

バーシー膳に結ばれた糸を、互いの手首に巻きあうのである。まずは男達が僧侶に結んでもらい、後は会場の人々で互いにバーシーを結び合う。「お金が入りますように、幸せでありますように、健康でありますように」人々の祈りが体育館に響いている。外国人のめずらしさも手伝ってか、私にも大勢の人がバーシーを結んでくれた。

ラオスにおいて祈りとは、無言のうちに終始する個人的な行為ではなく、声に出して隣人に捧げるものなのだ。

■シャイで敬虔なラオス人の素顔■

ラオスとその周辺国であるタイ、ミャンマーでは、旧暦の正月が4月の中ごろにあたる。乾季、もっとも暑い時期だ。その影響もあるのだろう、日本人が凧あげや羽根つきをするのと同様、水をかけあう。ここまでは、ガイドブックを読み知っていた。しかし実際は、かけられるのは水だけではない。

元日、先生の同僚宅へ新年の挨拶に行ったとき、そのことを痛感した。

 コンクリート壁の平屋建てが並ぶ村で、青い屋根のその家は他より少し裕福に見えた。出迎えてくれたのは、何本もの深いしわがよった角刈りの男性だった。開口一番、彼は流暢な日本語でこういった。
「あけましておめでとございます。私の名前、スリチャンです。でも泥棒じゃアリマセン」。

半年ほど日本に留学していたというスリチャンは、14歳の男の子と10歳の女の子、2児の父親である。奥さんも目鼻立ちのはっきりした美人だ。

コンクリートの土間に上がると、男女あわせて13-4人、子供4-5人が車座になっていた。中央にはラオス風焼肉とビールをたたえたグラスが散乱している。先生が私を紹介すると、皆はにかみがちに微笑んだ。タイやヴェトナムに並んで「微笑みの国」とラオスが評されるゆえんだ。皆シャイなのである。

しかしそれも一時、すぐに酒飲みの国民性が顔をのぞく。ラオスでアルコールといえば、ビアラオと呼ばれる国産ビールと、ライターを近づければ発火するほどアルコール度数の高いラオラオの2種類がその代表である。

そして宴会の席では回し飲みが基本だ。誰かが先陣を切って酒を飲み、空いたグラスに酒を注いで他へと渡す。渡された人間は、その杯は空にしなければならない。そして飲み干したら次へ、とこれが延々と続くのである。

「女性は断ってもいいから」スリチャンはそう耳打ちしてくれた。しかし以前先生が「俺の酒が飲めないのか!」と本気で喧嘩するラオス人の話をしていたのを思い出した。断れるはずもない。そもそも断るラオス語も知らないのだ。

さすがにラオラオは先生に押し付け辞退したが、それでもビールはすべて飲み干した。私が赤ら顔になってきたころ、ラオス人もシャイという殻をぬぎはじめた。独身の男性は「アイシテル OK?」奇妙な発音で愛の言葉をささやいてくる。「コープチャイ ありがとう」とだけ返せば、周囲は「キスしろ!」とラオス語とジェスチャーでたたみかける。所変われど、とはよく言ったものである。

そこへ大音量のカラオケミュージックが流れた。スリチャンの家ではプロモーションビデオに歌詞スーパーが映し出される、最新のカラオケ機器がそろっていたのである。

皆待っていましたとばかりに画面の前に陣取り、マイク片手に熱唱する者あり、踊る者あり。これが宴会の流れらしい。皆酔いに任せてかなり陽気になっている。しかしどうも妙なのだ。曲と踊りがあっていないような・・・というのも曲は隣国タイの人気歌手がうたうアップテンポなものなのだが、踊りはといえば、腕を突き出し、両手を円を描くように交互に動かし腰をふる。もともとはスローテンポな民族舞踊をそのまま早送りしました、という感じなのである。

ダンスというよりは盆踊りと形容したほうがしっくりくる。この間も酒は延々とまわり、小さな水鉄砲で水をかけるやからも出てきた。そして極めつけがシッカロールである。ボトルに入ったシッカロールを誰彼かまわず頭から振り掛ける。そこに一体どんな意味があるのか、縁起担ぎなのだろうか、誰も知らない。皆一様に褐色の顔を赤黒くし、さらに真っ白なシッカロールで上塗りされている有様である。怪しい新興宗教さながら、室内は踊り狂う人の熱気であふれている。

■水の祝福■

泥酔する大人たちを見限った子どもたちは、水合戦に興じていた。ほとんどが水鉄砲を手にしているが、手のひらサイズから、優に1メートルは超えるもの、果ては水を入れたタンクを背中にしょう大掛かりなものまで実に様々だ。水鉄砲がない子どもたちも、たらいやコップに水を汲み、中にはホースから直接水をかけて応戦している。

雑草の生えた庭には木々の濃い影がひしめき、裸足でふみしだくそばから草いきれがたちこめる。その上を駆け回る子どもたちは、余分な肉など一切ない伸びやかな肢体に、表情豊かに動く黒い瞳。ラオスの子どもたちはとても美しいが、その上賢く優しいのである。

たとえば私が水鉄砲を持っていないとすると、が目ざとく見つけて自分のおもちゃを私に手渡してくれるのだ。そして、しばらくして私が持ち主に水鉄砲を返せば、また他の子どもが貸してくれるのである。ラオスの子どもたちは、真剣に遊ぶさなかも、周りを見、思いやる気持ちを忘れない。

仲間うちでの水かけに飽きた頃、子どもたちは徒党を組んで家の前のあぜ道に立ち並んだ。通りかかる人々に、水をかけようというのである。それに気づいた親たちも、危ないからといってとめる様子はない。

むしろ酔いに乗じて自分たちも参加しはじめた。母親が率先して、通過しようとするスクーターの前に立ちはばかる。停止したところで、大量の水の祝福。あまりに必死の形相で逃れようとする相手は、逃がしてあげる。と見せかけて背後からお見舞いし、スピード上げて通過した者は、水でしたたかに顔を打つことになる。

老いも若きも、貧富身分の差なく水をかけあう。相手が僧侶だろうが警察だろうが関係なし。社会主義国であるラオスが、年に一度無礼講を謳歌できる日々が正月なのである。

ふと空を見れば、赤く輝く満月が昇りはじめていた。

ラオス 口の中の可愛いベイビー

laos-gaisenmon-120x80じゅる、ざらっ、こりっ。

かつて体験したことのない食感が口いっぱいに広がった。この、前歯の裏にあたっているのは一体何なのか。恐る恐る指でつまみ出し皿に放ると、からんと涼しげな音をたてた。細く小さな骨。私はそれ以上咀嚼することも吐き出すこともできないまま、ラオスの強烈な洗礼に凍りついた。

ここ数年のアジア人気にもかかわらず、ラオスを訪れる観光客はごく稀だ。理由はいくつか考えれるが、ビーチリゾートとしての魅力がないというのが一番の要因だろう。ラオスは周囲を中国、ベトナム、タイ、カンボジア、ミャンマーの5カ国に囲まれた内陸国なのである。さらには免税店もなく、直行便も飛んでいないとあっては、一般の観光客がほかのリゾートへと行ってしまうのは当然といえば当然かもしれない。かくいう私も、旅が好きでアジアならタイもベトナムもインドネシアも行ったがラオスに行ってみようと思ったことはなかった。

ではなぜ今回ラオスを旅することになったか。理由は単純、ラオスにいる知人に一度遊びに来ないかと誘われたからである。この知人とは私の高校時代の恩師のこと
で、現在国際協力事業団(JAICA)スタッフとしてラオスで数学の指導法や教材開発に携わっている。海もないし不便そうだし、とはじめはラオスにおよび腰の私だったが、先生からのメールがきっかけで興味を持つようになった。

「昨夜はラオラーオという40度以上のお酒を飲みました」「ラオスの結婚式に呼ばれ一日中飲んでました」内容はラオス人の酒宴の様子をつづったものばかりだったが、田畑を牛が農耕する風景やメコン川に沈む夕日といった写真も添付されていた。そのどれもにラオスの熱く濃厚な空気が息づいていて、パソコンの前の私をラオスに向かわせたというわけだ。
薄汚れたTシャツにジャージ、ビーチサンダル。その格好といい日にやけ具合といい、空港で出迎えてくれた先生はまわりのラオス人と見分けがつかないほどだった。

驚く私に先生は両手を広げ、笑顔で言った。「よくも来たね」。同化するあまり日本語を忘れた先生のこんな第一声と共に、ディープなラオス旅が始まったのである。

サラワンの高床式生活

この日先生と私が乗ったバスは、日本では考えられないほどのポンコツだった。時折すれ違う他の車両もスクッラップ寸前といった様子。中には、日本から寄贈されたのだろう、「ときわ保育園」「スクールバス」といった文字が車体にそのまま残っている。

塗装は色褪せ、ひび割れた塗料は指で触れると容易にはがれ落ちた。座席シートからはスポンジがのぞき、糸くずや食べかすが付着している。4月の今は乾期の最も暑い時期にあたり、ファンすらない車内は人々の体温と汗のにおいで満ちていた。少しでも涼をとろうと窓を開けようとするが、錆のせいか埃のためか、びくともしない。

ひとつ前に座る先生は、容赦なく舞い込んでくる砂埃にベースボールキャップを目深にかぶるしか手立てがなかった。窓の外には舗装されていない剥き出しの赤い大地。空へと伸びる熱帯の木々の生々しいほどの生命力。熱帯の生きものはどれも輪郭が明確で、存在感を強く感じさせる。

そんな景色を見続けることおよそ一時間半、サラワンにたどり着いた。サラワンは先生が暮らすラオス第二の首都パクセの北部に位置する。面積の半分以上が自然林で唯一の観光資源が滝という、大自然に抱かれた町だ。もしくは、物好きな欧米人バックパッカーも目的地としない辺鄙な田舎町という言い方もできる。今回私たちは、先生の同僚であるラオス人女性サムチャイが実家に招待してくれたため訪れたのだ。

「サバイディー(こんにちは)」迎えてくれたサムチャイは、ふっくらした頬に小さな丸い目、黒く長い髪を後ろで束ねている。初対面の私にはにかむ様子は、22歳
という彼女の年齢よりも幼く見えるが、その実一家の家事をとりしきるしっかり者である。服装は、Tシャツにラオスの伝統衣装「シン」というラオス女性の典型的なスタイル。シンは巻きスカートのようなもので、黒地の布に幾何学模様を描いている金糸が、太陽の光をほのかに反射している。

サムチャイの家は、ラオスの伝統的な高床式木造家屋だった。庭にはパイナップルやココナッツの樹木が生い茂り、熟れた果実の匂いが甘く漂う。木陰の下ではハン
モックが風に揺れている。靴を脱いで、いささか急な階段を上がれば、30畳ほどのスペースが寝室と居間にくぎられている。電気はあるがガス・水道はなく、煮炊きは部屋の一角の炭火の釜で、洗いものは軒下の縁側でするようだ。屋外のトイレはもちろんペーパーはなく、水は自分で汲んで流さねばならない。

室内にはインテリアと呼べるもの何一つないが、余計なものがない分涼しく感じられる。実際、入り口から向
かいの縁側に開けた戸口へと心地よい風が通り抜け、遠くの子供の歓声や鶏の鳴き声、木々の葉ずれの音を絶え間なく運んでくる。

小学生時代の夏休み、プール教室の後、家の畳で昼寝する時に感じた、手足がどこまでも伸びていくようなあの解放感。私はそんなことを思い出していた。この直後、
伸びた手足も思わずすくむ、一生忘れられないラオスの味に遭遇するとも知らずに。

赤ちゃんタマゴ

それは、サムチャイが用意してくれた昼食にひそんでいた。献立はわらで編んだ籠に入ったごはんに焼き魚、そして殻付きの卵、という簡素なもの。
ここでサムチャイは私のために料理と食べ方を説明してくれた。「ご飯はカオニャオ、親指、人差し指、中指の3本で一口分を丸めて食べてね。魚はパー、うろこが残ってるから皮は残して。そして卵はカイルークよ」と。ちなみに「カイルーク」は「赤ちゃんタマゴ」という意味だ、とも言った。

赤ちゃんタマゴ?
そもそも卵が鳥の赤ちゃんなのだから、「頭痛が痛い」並みに矛盾したネーミングなのだが、ここはラオスだからそんな細かいことはどうでもいい。第一すごくラブリーな名前じゃないか。
そう思っていると、卵の食べ方をレクチャーすべく、サムチャイは卵を左手にとり、そして右手にスプーンを持った。

・・・なにゆえにスプーン?
よっぽど半熟状態なのだろうか、怪訝に見つめる私を前にサムチャイはカイルークを食べ始めた。
まず殻の先端部分をスプーンで割り、そこからあふれるどろりとした半透明の液体がこぼれないように口をつけてすばやくすする。そして殻を割ると。白身があるはずの部分に灰色の羽毛のようなものが密生しているではないか。さらに彼女が一口食べると、黄身にはうっすらと血管らしき筋が!

そう、「カイルーク」は孵化しかけの卵を茹でたものなのである。要するに、骨も羽も目も形成されてあとはしっかり骨格がかたまれば産まれちゃうよーん、的状態をいただこうという、とんでもない代物なのだ。
「これだけは食べたくなかったんだよね」
ぽつりと先生は言った。これまでもさんざんすすめられてきたが必死に避けてきたらしい。
私はあまりのグロテスクさに、のど元にこみ上げる熱いものを感じた。

そうこうしている間に、サムチャイは残り2つの殻をむきはじめた。遠慮する間髪を与えず、さあどうぞ、むきおえた卵を差し出て、サムチャイは優しく微笑んだ。戸惑う私たちに、「遠慮しないで食べなさい」サムチャイの隣に座ったおばあちゃんも、満面の笑みでうながしている。どうやら腹をくくるしかないようだ。
先生と私は互いを見てうなずいた。

そもそも、同じ人間が食べているのに私が食べられない道理はないのである。第一、よく見なきゃいいんだ、見なきゃ。目を閉じて、胃に入れば所詮ただのゆで卵
よ。・・・ああでもやっぱりだめ、黄色いくちばしを胸元にうずめるように丸めた姿が目に焼きついて離れない!!
ギブアップしようとサムチャイを見ると、おいしいわよ、と再び微笑んだ。おばあちゃんも天真爛漫に笑っている。

おばあちゃんの元気の秘密

・・・私の口の中で何が起こったか。それは冒頭に記したとおりである。
その食感は、後日夢に見てしまうほど凄みのあるものだったので、ここで繰り返すことは遠慮したい。
それにしても赤ちゃんタマゴとはよく言ったものだ。あんなグロテスクなものに赤ちゃんだなんて、出会い系サイトで知り合ったキムタクと名乗る彼がいざ会ってみたら江頭2:50そっくりだった、くらいに詐欺行為だぞ! あまりのショックとやり場のない憤りで思考回路がすっかりショートした私。

先生は、その味を水に流そうとするかのようにお茶を立て続けに飲み干し、サムチャイは魚の皮をはがす作業にとりかかっている。

そしておばあちゃんは、「カイルークは栄養たっぷりだから、滋養強壮食なんだよ。だから私もこんなに元気」と言って歯の数本ぬけおちた黒く広がる口腔を大きく開けて、呵呵と笑った。

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